もともとはデザイナーなどと共同作業をするチームのリーダー的な存在だったが、ブランドに対する権限と責任が明確でなかった。そこで、MDの数を百人から12人に絞り込み、「各ブランドの企画立案から販売戦略まですべてを見通して計画を立て、企画、販売の双方をリードする」(常務)ようにさせた。いわば、ブランドごとの分社の社長のようなものである。もちろん、MDの強化だけでは不十分なことは承知している。89年にも企画主導の組織にしようとして事業本部制を導入したが、営業主導の体質を改めることができず、三年後の92年には再度、機構改革に踏み切った。組織を変えるだけでは目的を達成できないことは体験済みである。そこで、MDの強化に先駆けて91年には、参謀本部としてマーケティング戦略室を新設、ブランドの削減や新ブランドの提案などを総合的に全社レベルの横割りで見る機能を強化した。室長には関連会社ダーバンの専務だった人を常務を起用した。グループ内とはいえ、社外からの人材登用で新風を吹き込むのが狙いだった。